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3/24 午前、被災地に入っている
名もない協力隊の加藤大吾さんから
報告が入りました。



以下、転掲します。


6:00都留発。 昨夜先発した10tを追いかける
7:30三芳パーキングエリアにて
小川町有機野菜生産組合さんと、有志の会のみなさんから
野菜などの物資提供を受ける。
ただでさえ満載なのに、その上にのせる。
半分は仙台南で現地のNPOに引き渡し、
半分は釜石まで持っていく。

東北道仙台に近づくと道がところどころうねりだす。
補修されているが、満載されているトラックでは慎重に運転したい。
途中、緊急車両しか通れなくなり、車の量が減る。
ふと見ると、隣には米軍の海兵隊がいた。
でかい車両の上に特殊車両が載っていた。

瓦が飛んでしまったのか?
屋根にはブルーシートが張ってある家も見える。
岩手に入っても高速道路沿いは同じような被害状況

遠野に入ってバックヤードに荷物を降ろす。
NPO法人遠野山・里・暮らしネットワークさんの協力で、
バックヤードをご提供いただきました。
キャンプ系のシュラフ、防寒着などは
ここでボランティアの方々に使われることになりそう。
物資は一般的に単一商品が山積みになるが、
この10tトラックは様々な物資が載っている。
「こういう集め方もできるんだ!」と言ったそうだ。
全国の名もない救援隊の隊員の気持ちが現れていると思った。

俺たちは遅れて遠野に到着した。
ねおすの荒井さんと合流。
日が暮れるないうちに釜石 栗林児童館を目指す。
行き違う車は自衛隊、機動隊、緊急車両ばかり
一般の車両は燃料がなくて動かしようがないのかもしれない
ガソリンスタンドには翌朝の給油を待つ長蛇の列があった。

夕暮れの中で釜石にたどりつくと、
静かな町模様。普通の風景でした。
ここが携帯の最後の場所!といわれて家族と事務局に電話。
ここから100m進むと突然、
車がひっくり返っていた。
店のシャッターもくしゃくしゃだ。
津波が押し寄せたラインが被災のレベルをつけていた。
身がしまった。そんな惨状を横目に先を目指す。

暗くなるころ栗林児童館に到着。
ねおす自然学校、岩木山自然学校、森の遊学舎のスタッフ
と顔合わせ。当方も会わせると総勢16名。
地元のスタッフもいる、地元とのつなぎ役として活躍していた。
彼女の存在は大切でどこにどんな属性の人が住んでいるのか?
解っているのは一人だ、彼女がいなければ必要な物がわからない。
気丈に振る舞っていたが、複雑だろう。
明日の作戦会議

明日3/24は2チームに分かれる。
チーム1は先入りスタッフ一緒にバックヤードの荷物を
橋野地区、片岸地区、鵜住居地区に運びつつ、同時に何が欲しいのか調査する。
地域の人々に配布する。
それぞれの地域の特徴がある。
年齢層などにあわせて配布物を検討。
チーム2はバックヤードから大船渡に荷物を運び
ガソリンの供給とスタッフの移動を同時に行う。

川田、大関、高見、大西、糠谷はチーム1
高田、加藤はチーム2

エネルギーはかなり貴重。
配布についてかなり慎重にしなければならない様子。
避難所と個人宅にいるひととの意識差や物資差が、あるようです。
避難所には自衛隊からのいくらかの燃料配布があるが、
平等に配布するため。また、ないところに持ってくることで、
溜め込みたい心理なのか。
地域までは届いているのに使われていない。
そんな状況になっているらしい。
今、使える買い出し用の車の燃料になるように工夫して給油したい。
また、ライフラインの復旧は電気は早いが、水は場所によるらしい。

この児童館は既に子供たちの児童館活動を開始していました。
親には静かな時間、子供には楽しい時間を作り初めていました。

深夜に余震あり。

報告以上。
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2011.03.24 / Top↑
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